いんすぴゼミの感想も毎回書くと言うことが少し難しくなってきたので、「いんすぴゼミ○回目」の表記はやめて、数字だけにしました。(^_^;)
先週、「必要以上に恐れる」という章を読み終えて先日は「無意識に不合理な判断をする」という章に入っています。話題は認知バイアス。
科学、医学、政治、商業の歴史には古い慣習への頑迷な執着、不合理な信念、見当違いの方針、とんでもない判断が掃いて捨てるほど有るそうです。
その原因のひとつが認知バイアスにあるということですね。
1840年代に一部の病院で散布の2割が出産後に死亡していたそうです。1846年、医師のゼンメルワイスはウィーンの病院で医師が分娩処置に当たった場合の産後死亡率が13%から30%であり、助産婦が分娩を担当した場合の死亡率が2%であるという事実に気付きました。そして、ゼンメルワイスは分娩処置に当たった医師の手が原因で無いかと考えたのです。つまり、彼らは死体の内臓などを触った手でそのまま分娩処置にあたったため出産後の死亡率が上がっているのでは無いかと考えたわけです。
現代では当たり前のように細菌の存在が知られていて、衛生管理をして処置にあたるのですが、どうやら1840年代には目に見えない物が人を殺す等というのは信じられなかったようですね。ゼンメルワイスの考えは1870年代まで黙殺されることになります。
これは、細菌のことが知られていないと言うことと同時に、医師たちの判断を偏らせる感情的な重荷が在ったのでは無いかと言われています。
それは、医師自身が妊婦を殺してしまっているという可能性です。当時、少なくともひとりの医師が、現在は細菌説と言われるゼンメルワイスの説を認めたあとで自殺をしたと伝えられています。
認めたくは無いですよね。よかれと思ってしていたことが人を殺していたなんて。
認知バイアスと言われる物には、「フレーミング」「損失回避」「アンカリング」「自信過剰」「利用可能性バイアス」と言った数多くのものが有るようです。
さて。
このふたつのピサの斜塔の写真は同じ物です。
なかなか信じられませんよね。
右の写真がより傾いて見えている物と思います。ちょっとスライドで動画をつくったので見てみてくださいね。
同じですよね。
なぜ右が傾いて見えるのか解説します。
人の視覚系は物の遠近がどのように見えるかについて、有る一定の法則を経験的に学んでいます。例えば、鉄道の線路のような平行な線は網膜に投射されるときに先の方ほど狭くなって収束していきます。(線路の幅は遠いほど、視野に占めるスペースが小さくなる)
脳は、距離を推測するのにこの収束性を利用する事を学んでいるわけです。
このピサの斜塔の写真は下から上に撮影されています。
左右の建物の中心線は遠ざかっても収束しないので、脳は「この二つの塔は平衡では無い」と認知するわけです。
この現象は、視覚の経験と脳の情報処理ユニット(おそらく後頭頭頂葉あたり)でおこなわれている物だと思います。ですので意識が関与することは出来ません。
結構認知バイアスというのは非意識下の潜在性のなかから強固に存在している物なのでしょう。私が考えていたより。(^_^;)
ところで、この本ではヒトの脳が数字の操作や確率といった論理の情報処理に適していないと言うことが繰り返し述べてあります。この認知バイアスの章でもいくつか例が挙げられていますが、その通りだと思います。
そこまで話を聞きながら読み進めてみて、ふと思ったんですね。
リハビリテーションに関わるエビデンスと言われる者たち(文献)の数字の処理を。私たちは果たして認知バイアスを受けること無くこれらのEBMで表されている事柄を受け止めているのでしょうか?
おそらくそれは出来ていないと思います。
もしかするとEBMに基づいていれば大丈夫であるということを考えているのであれば、それ自体が危険な思想なのかもしれませんね。
私たち人の脳は、見えたものをそのまま知覚することは難しく、読んだものをそのまま理解することが出来ない構造/情報処理システムなのだという事を前提に物事を観察して理解していくことが大切なのかも知れません。
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