以前病院で勤めていた頃、看護師さんから「神の手ですね。」と言われることが時折ありました。
「神(かみ)の手」と言われるのが恥ずかしく、「ペーパーハンズ(紙の手)です。」といつも訂正をしていました。
それでも知識や技術を認められたと言う感じは嬉しいものであったと記憶しています。
一歩病院を出てみると、「神の手」と評される人の多いことにびっくりしました。
私が出会ったなかでも神の手と言っても良いと思うセラピストはお一人おられます。その先生はまだ現役で指導や臨床をされておられます。
もう一人、神の手という感じでは無くて、理詰めの魔法使いと言った方がしっくり来るセラピストがおられましたが、その先生は現役を退かれました。
それはともかく、世の中にこんなに神様が多いとは思いませんでした。
まぁ、日本には八百万の神様があおられますので、たくさん神様がおられることは良いことです。
一歩外に出てみると、私も病院と言う狭い井戸の中で暮らしていた蛙だったのです。予想はしていましたけれど。
お医者さんも看護師さんも患者さんも病院という井戸の中に住んでいる蛙(セラピスト)のしていることからしか、リハビリというものも理解できません。また、蛙同士のあらそいも、同じ井戸の中でしか出来ないのです。
その井戸の中に蛙なりの矜持というものをもつ蛙が沢山いたら良いのですけどね。
「紙の手」がせめて、普通の手になりますように。
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