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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

医療の質

病気や病気によって障害を持たれた個人、或いはそのご家族と厚生労働省の考える医療の質は異なるのではないかという事を何度かこのブログでも取り上げて書いてきました。

考えてみれば当然なのだろうと思うのですよ。


私も若い時は気が付きませんでしたけれど。(こんな風に書くと自分が年取ったみたいでなんか厭ですが、まぁ年は取りましたからねぇ (^^;)



あぁ、こっちから来たかという感じが強いです。

私の予想では、数年後に廃用症候群リハビリテーション料から、個別算定を撤廃してくるのでは無いかと思っていたので、ちょっと予想が違っていました。

まぁ、個別算定を減らしていこうとする流れは必ず起きてくると思っていたので、驚きはしませんでしたけれど。

ですので「あぁ、こっちからだったか。」と思ったわけです。


厚生労働省、国が考える医療というものは、病気や障害によって非課税者になってしまったり、なりそうな人を再び納税者になっていただくために健康になっていただくという側面があります。

これが結構大きかったりするのだと思います。


とすればですね。

医療保健制度をなぜ作り上げたのかと云えば、国の財政を病気などによって破綻させないことが(も?)大切だと云う視点からつくられたものだと云えるかも知れないですよね。

リハビリテーション医学はそういった方向性で発展してきたのだと思うのです。

ところが、納税者に戻るどころか、いつまでも医療保険を使わないといけない様なアプローチは国の経済を破綻させかねないのです。

ここで語られる「リハビリテーション医療の質」というのは、結局のところ、いち早く医療保健制度を使用しなくても良くなるための目的や手法を行っているという事や、復職して再度納税者に戻っていただく事ができたといった結果を出すことに対して「質が高い」と評価されることになります。そこに麻痺したところが改善したとか、動きやすくなったとかいった要素は無いか、在ってもそんなに重い比重で考えられる事ではありません。

あくまで、素速く医療保健制度から離れていただいて、納税者に戻っていただくという事が重要なのです。

国や、厚生労働省にとっては、そういったリハビリテーションが「質が高いリハビリテーション」であるという事になります。

まぁ、国という括りで見れば当然ですし、何も悪いことでは無いですよね。

ですから、そういった目的に対して有効性を高める様な研究が多く在りますし、それらを利用して、納税者を増やすべく医療システムが構築される様に医療保健制度を運営することになります。


だけど、個人や、その家族にとっての医療の質というのは違いますよね。重なる部分があったとしても、やはり異なるのです。

動きやすく、コスメティックにも他の人と差があまりなく、元気に楽しく人生を過ごしていきたいのだと思うのです。


国は、動きやすいとか、元気だとか、楽しく過ごせるとかは、まぁ、たぶん、どうでも良いのです。

そこに視点の違いから来る、「リハビリテーション医療の質」という物の食い違いが生じてきますよね。


国は、おそらく、納税者に戻すことができず、医療保険を使い続けることしかできないのであればリハビリテーションを公的なお金を使ってまでやる必要は無いと考えているのでは無いかと思うのです。

ただ、急にリハビリテーションを医療から外すことはできないですけれど。

PT・OT・STはすでに法整備されていますからね。


すると、国、厚生労働省にとって個別算定というのはとっても面倒くさいと思うのです。

どうやったらリハビリテーション医療に関わるコストを削減できるのかというのは、厚生労働省が常に考えていることのひとつだと考えておいた方が間違いないと思います。


今の様な現状になったのは、誰も悪いわけでは無いのでしょうけれど、厚生労働省の思惑を読み切れていなかったとすれば、職能団体の責任はあるのかも知れないですね。

解っていてもどうしようもなかったという事も有るでしょうけれど。


今後、リハビリテーションでの個別算定はどんどん圧迫されてくるのだと思います。

ま、皆さんがそれでいいと考えているのであれば、すでに医療保健制度から出てしまって部外者となった私がとやかく言う事でもありませんし、それでいいのだとは思いますけれど。







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