前回、意識とは様々な情報処理の結果、選択された行動や動きの情報などの後から生成される物ではないかというお話を書きました。
これは、「受動意識仮説」と言われている物のようですね。
当然仮説ですし、批判もあるのです。
私は、脳の構造や情報処理のことを自分なりに調べたり学んだりした結果、この考え方が最も現在わかっている様々なことにことに適合しやすいのではないかと感じているのです。
とするとですね。
「では随意運動とは何か?」という疑問がわいてくるのです。
言葉のままに捉えると、意思によって起こされる運動と言うことになるのでしょうが、私の考えでは、主客が逆転していると言うことになります。
最初に運動が起きて、その後、その運動に関わる意識が生じるというのが私の現在の意見なのです。
まぁ、別に私の意見などとるに足る物ではないのでしょうけれど。それでも私が何かしらの意見を持っていても良いですよね。(^^;
現在知っている情報を書かせていただきます。
なぜ、神経生理学的にそう言ったことがいえるのかというお話です。
脳の運動出力に関わる情報処理を見ると、感覚情報が側頭頭頂連合野で統合されます。統合された身体情報と外的環境情報は前頭連合野に送られ、行動出力情報を選択し、運動出力情報に変換されていきます。
行動出力情報や運動出力情報は上縦束と呼ばれる繊維によって再び頭頂連合野に運ばれ、ここで運動主体感覚が起きるとされています。しかし、この運動主体感覚は本来意識に上ることは無いのだと思います。
統合失調症に、作為体験(させられ体験)という症状があります。自分の意思ではなく、何者かに支配されているような感覚になり、「~させられてしまう」と感じてしまうような症状です。
近畿大学医学部生理学講座の村田哲先生は、病態生理学会で「ミラーニューロンによる自己と他者の表現」という論文の中で、作為体験についてミラーニューロンシステムとの関連を指摘した上で、運動主体感の障害として捉えると記載しています。
運動前野にあるF5領域はミラーニューロンが豊富にあるのですが、ここは上縦束によって頭頂間溝野とつながっています。
また、旭川医科大学の高草木薫先生は、2019年、米子の大山リハビリテーション病院主催の脳生理研究会「適応歩行制御の神経機構」という講演にて、補足運動野および運動前野の情報が運動出力情報になると同時に側頭頭頂連合野にEfference copyを送ることで運動主体感と身体所有感が生じると話をされておられました。
これらのことを合わせて考えると、運動前野F5領域ー上縦束ー側頭頭頂連合野の情報処理が運動出力と運動主体感覚に関連していて、補足運動野・運動前野による運動プログラムが運動出力につながる部分は機能していて行為や動作・運動は成立していても、運動出力情報のEfference copyが側頭頭頂連合野に送られる段階か、もしくは側頭頭頂連合野に送られた運動出力情報のEfference copyが情報処理される段階で問題が起きた場合、作為体験、「自分の意思ではない行為・運動を起こしてしまっている。」という”意識”が成立する事になります。
つまり、補足運動野や運動前野の情報処理は意識に上っていないという結論になるのではないでしょうか。
自分の起こした行動や動作が”意識に上っていない”からこそ、「自分ではない誰かに操作されている。」という特徴的な症状が成立するのではないかと、そう思います。
このお話の中では、上縦束によるEfference copyの伝達が側頭頭頂連合野に送られた際に意識が生成されるのか否かといった問いかけに答えることはできません。しかし、少なくとも補足運動野や運動前野の運動プログラムが身体主体感覚に先行していることは脳の情報処理システム的に間違いありません。
とすれば。繰り返しになりますけれど。
やはり補足運動野や運動前野における運動プログラム出力は意識に先行していることになります。
さて、元の話題に戻りますね。
「随意運動とは何か?」
皆さん、ほど良く混乱されてきておられるのでは無いかと思います。
いかがでしょうか?
(*´▽`*)
随意運動と一般に言うとき、例えば、歯を磨くとかそういった動作も随意運動と言うことができますよね。
しかし、歯を磨く動作自体意識に上ってから行われているのでしょうか?
経験的に来る、口腔内の不快感。それを解消するための無意識的な行動選択。さらにそれが歯磨きをする動作に無意識的に変換されているという事なのです。
それら補足運動野や運動前野などの情報が上縦束によって側頭頭頂連合野に送られ、運動主体感覚となって意識化されたときに、「朝だから歯を磨こうと思って、歯を磨いたのだ。」と理屈をつけてくるわけです。
しかし、その無意識下の行動選択や運動プログラムも「随意運動」と呼ぶわけですよね。
つまり、これらのことから「随意運動」と呼ばれる物には少なくとも二つの状態があると推測できるのです。
一つは、無意識であって,行為や運動の後から意識が何らかの合理的な理由を成立させることができる運動。(後から合理的な理由を成立させることが難しい運動は、反射とか反応に分類されるのかもしれませんね)
もう一つは、本当に意識によって制御された運動。
日常生活を含む、多くの動作は前者の無意識下の運動によって成立しているのは、経験的にご理解いただけるのでは無いかと思います。
ここで最も面白いことは、前者:無意識的な随意運動については脳生理学的に説明がある程度可能であるのに対して、後者:意識的な制御による随意運動は脳生理学的に説明ができないと言うことです。まだ、脳生理学は意識に関わる情報処理がほとんどわかっていないのです。それが成立するのかさえわからないのです。感覚的には、ある程度は成立するのだとは思いますけれど。
(*´▽`*)
蛇足ですが、ここで言う意識は覚醒を示す意識ではありません。いわゆる延長意識~私たちが自覚する意識のことです。
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