今まで、少しずつ思っていたんですけれど、医療保険下のリハビリテーションのロジックと保険外でのリハビリのロジックは違うと思うのです。
ちょっと極端な言い回しになるかも知れませんけれど。医療保険下では限られた財源の中、多くの人にリハビリテーションの機会を提供することがとっても大切ですので、如何に早く医療保険制度の支援が必要なくなるのかという事が目標になります。
その為、病院からできるだけ早く出る(退院する)ことが、リハビリテーションの論理の基盤に置かれているように見えます。多分、あながち間違いでは無い、というか、まったく違うという事は無いのだと思います。
例えばですが、FIM効率などが実施されたリハビリテーションの評価に用いられる、つまり、質や効果の高いリハビリを提供しているか否かと言った判断に用いられたりすることがあったりするということが、医療保険内のリハビリテーションの基本的な論理に病院での治療が必要なくなることが重要視される傾向があることを裏付けているのでは無いかと思うのです。
少なくとも私にはそう見えるわけです。
強い言い回しかも知れませんね。
医療保険が悪いとか、医療保険でのリハビリテーションが悪いということを言っているわけではありません。
むしろ、医療保険で安価に多くの人達にリハビリテーションを提供できる機会があるというのは良いことですし、とっても大切な事だと思っています。
ただ、ロジックが異なるということを言っているのです。
医療保険体制のなかで、医療保健制度から外れていただくためのリハビリテーションの論理。それと、脳機能を回復させるための論理。それはやっぱり違うと思うんです。
麻痺とか、その他の残存する障害が最も回復を示すであろう道筋はどういった論理構成が最も適しているのか、それを考えるための論理、つまり回復のための論理を構築するための論理は何処にあるのかを探るのが自費リハビリに求められているのだろうと。そういうことなのです。
目的とするGoalが異なるのですから、それぞれの立場、お互いの会話は成立しにくいでしょうね。医療保険から見た話と保険外から見た話。
お互いに共存すべきだとは思うのです。
だって、両方とも必用ですから。
ただ、基盤にある論理が異なるという部分の共通理解が必用なのかも知れません。
ボバースが正しいとか、正しくないとか。
それは、論理を構築するための基盤が異なるので不毛なお話なのです。多分。
あ、私はインストラクターでも何でも無いので、あんまり信じないで下さいね。
たとえば、傍観者としての意見だと思っていただければ幸いです。
私は、やはり麻痺とか高次脳機能とか表現されている、だけど脳の情報処理的には同一の事柄なのではありますが、それを改善させることをしたいと思っています。
生活動作がどうでも良いと思っているわけではありませんよ。
結果として、努力を伴わない動作が可能になるように一生懸命考えています。
今、それが出来るとか出来ないとかは、場合によっては一旦置いておくという判断をしたりしますけれど。
正しいのか誤っているのかは、社会情勢もですが、学術的な、或いは技術的な、或いは個人のニーズとか様々な側面から語られるべきであって、どれか一つを優先して判断基準とすべきでは無いのかも知れないと思ったりするのです。
この話題、ちょっと自分的にはハマってまして。
多分、またいずれ書いたりすることがあると思います。
無いかも知れないけれど。
ちょっと、こないだの実技研修会で、学校の先生と少しやり取りをしながら面白くなっちゃって。多分先生は、私のことを面倒くさいやつだと思われておられることと思います。(^^;
「理論的に考える」ということと、「論理的に考える」という言葉の意味は違うのですよ。
多分ですけど。
(*^_^*)
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