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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

リハビリテーションはいつまで続けるのか



医療保険下では脳卒中のリハビリテーションに期限が設けられています。

その後もリハビリテーションが必要な時期があるとして、リハビリはずっと継続すべきなのかどうかと云った話題が、先日行われた中枢神経系の勉強会で話題になっていました。


ここから先は私の個人的な意見、私見です。

まず、神経生理学的な事を考えると、運動を含めた学習というのは、生涯を通じて起きています。

実際、身体条件は経時的に変化します。いつまでも同じパターンで歩き続けることは不可能です。例えば、お年を召されて、膝が変形したり,脊柱が曲がってきたりする事はよく見かけますよね。あと、痛みがあったり。筋出力なども常に変化していますよね。

力が入りやすい時や入りにくい時。人は色々あるのです。

身体条件が変化した際には、その身体に合わせた重心の移動やバランスの反応、足の出し方なども同時に変化しないと、移動できなくなります。

ロボットなどそうですよね。歩行が可能なロボットであっても、構造を変化させるとたぶん歩行が難しくなります。



おぉ。

最近のロボットは凄いですねぇ。

しかし、こういったロボットもモーターの出力が変わったり、脊柱の可動性を制限したり、円背の状況を作り出したり、或いは足関節の動きを制限したらたぶん歩けなくなるのです。


そういった構造の変化に対してプログラムを変化させる事が出来ないですからね。

人は、構造の変化に対して適応するために常に出力を変化させて学習していくことが出来ます。ですから、身体条件の変化があっても移動し続けるのですね。

ですから、通常こういった認知運動学習は生涯続いていると判断して間違いないと思います。


こういった学習の神経学的な基盤はどうなっているのでしょうか?

脳科学の分野では、ヘブ則が有名ですね。

ヘブ則は、2つの神経細胞が同時に発火する と、それらの神経細胞の結合が強まるという法則だと要 約できます。 強く結合した神経細胞の一方が発火すると、 他方の神経細胞も発火する傾向があります。 このヘブ則 が、学習の基礎となる現象と考えられています。

しかしこれだけでは、不十分です。

学習には繰り返しが必用な側面と一度の経験で学習が進む側面が存在します。

ちょっと例が適切ではないかも知れませんが、例えば森の中を歩いていて、ライオンに出くわしたとします。その場所を記憶する際に繰り返しが必用だという事になると、何度も何度も同じ場所で危険な状況にならないと学習できないという事であればたぶんその動物は死んでしまいますよね。こういったときは、一度で学習しちゃうのです。

つまり、怖いとか楽しいとか情動が強く働いた時には回数にかかわらず学習できるメカニズムも持ち合わせています。

この学習にはアストロサイトが関わっているのでは無いかと言われているのです。


これらの脳の基本的な原理は特別な場合〜脳のなにかしらの機能不全の状態をはぶいて、脳が機能しているかぎり年齢とは関係なく続くと考えられます。

これらが、脳の可塑性を支えているのですね。


となると、まず医療保険下で6ヶ月などの期限が設けられている理由は、脳の可塑性と云ったことから設けられた期限ではないという事が出来るかと思います。

理由は様々だと思いますが、個人的には医療経済の側面から決定されているのでは無いかと思うのです。要は、6ヶ月以降は脳損傷に対するリハビリテーションのコスパが悪いと云うことですね。これも、医療保険下では動きの学習などより、自立という命題に向けた行為の学習が目標として設定されている(ほら、FIM利得の高さでリハビリテーションの質を判断したりもしていますよね)ので、そもそも脳の可塑性という部分を考慮しているのかどうかと云う部分もありそうな気がするのではあります。


ともかく、脳の可塑性から考えるのであれば脳の可塑性が生きているかぎり存在しているのであれば、脳卒中のリハビリテーションに期限はないと考えることが出来ます。


さて、それとはちょと異なる視点ですが、じゃぁ回復(自費リハビリにおいては、回復という言葉は使ってはいけないそうなので、改善に置き換えても良いのですが、今回は研修会の話題ですのでこのまま回復という単語を使いますね)はいつまでも続くのかという事も少し話題に上りました。

これは、ちょっと難しい話なのです。

自費リハビリをしていて思うのは、やはり損傷から時間が経過していても、やはり脳の可塑性による回復は起きるという事は経験しています。

しかし、それがすべての人がそうなのかというと、そういうわけではないことも経験します。

何が違うのだろうと考えたりします。

運動学習にはヘブ則とともに、アストロサイトの関与がありそうだというお話を先ほど書いたのですが、通常、それは相互補完的にも働くのではないかと私は考えているのです。

繰り返しに至るにはやはり、ある程度情動の変化で起きるアストロサイトの働きによって急速な学習がどこかで働くから、繰り返しが起こるのではないかと。

つまり、面白いとか楽しいとか、そういった情動の変化がヘブ則を補完しているのでは無いかと言うことですね。

つまり、回復が順調に上手くいく場合は、運動(学習)を楽しんでもらえている時。

余り順調では無い場合は、余り楽しくなくて、繰り返しに至らない場合です。

脳の損傷による報酬系の働きの変化もあるかと思いますが、楽しませることが出来ない場合というのは、やはりセラピストの責任も大きいのだろうと思ったりします。


さて、いつまでリハビリテーションを続けるべきなのかということです。

一部には、リハビリテーションの依存は危険だという話をされる医師とかも居られますけれど。

身体条件を良くしようという希望を持つ人は、脳卒中かどうかにかかわらずおられるわけです。

ですから、ジムという事業もあったりしますよね。

ご本人が身体条件を維持したり良くしたいとご希望されるのであれば、永続するものとして考えて良いのだろうと思うのですよ。

どの様な頻度でどの様にしていくのかと言った事は個々に考える必要があるとは思いますが、脳卒中と云うだけで、身体条件を良くしたいという希望に答える場所がないというのは、不公平だと思うのです。


すべて、個人的な意見ですよ。





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