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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

全体は部分の総和に勝る

The whole is greater than the sum of its parts.”

アリストテレスの言葉です。

ネットで検索すると以下の説明が出てきます。


「ギリシア古典期の偉大な哲学者・アリストテレスは「全体は部分の総和に勝る」という言葉を残しています。 例えば、時計のパーツだけを集めても、それらを適切に組み立てなければ時計としての機能を果たしません。 これと同じように、全体は部分の算術的総和以上のものであるとアリストテレスは説いたのです。」


ずいぶん前に、数回このブログでも取り上げています。リンクを張っておきます。


その際に私が主張していたのは、脳卒中にしてもその他の疾患による障害においても、その人をたとえば、ROM/MMT/BR-S/Sensory-T/反射検査/協調性検査/高次脳機能検査/長谷川スケール/WAIS-R/ WISC/FIM/BIなどなどの検査をしても、結局その人を表すことはできないというお話です。

時計を分解するように人を様々な検査で数値化しても、分解された時計のパーツを並べても時計とは言えないように、検査結果の数値を並べてもその人を表すことはできませんよということですね。


先日、毛内拡先生のyotubeのショート動画で、同じ言葉を用いた話題をアップされておられるのに気が付きました。これもリンクを張りますね。

(*^_^*)


脳科学者らしい切り口ですね。


これを観ていて、ふと思いだしたことがあるのです。


日本で、脳損傷(確かその時は脳梗塞の患者さんだったと記憶しています)の患者さんに、はじめて神経幹細胞による治療の臨床研究が始まったと報道があったのです。

確か北海道の方の大学、札幌医大であったような記憶があるのですが定かではありません。

臨床研究結果についての報告をとっても興味を持って待っていたのです。

確か最初の報告では脳細胞は増えたけれど、障害像はそこまで変化が起きなかったとの報告であったように思います。


色々それで情報を集めていたのですが、まぁ、当たり前だよなぁと思ったのが、研究においては、神経幹細胞を投与し、神経細胞が増え、脳機能が改善(障害の改善)するというストーリーにしないと、途中で様々な要素が入ると神経幹細胞由来の改善なのか他の要因の改善なのかという部分ではっきりとしないところがでちゃうんだろうと思うのですね。

そういった事も有ったのか無かったのか定かではありませんが、その研究でリハビリテーションは行われなかったような情報もあったように思います。


まぁ、私の集めた情報なのでその真偽は不明ではあります。←ここ大事(^_^;)


取りあえず、神経幹細胞による治療を行ったけれど、リハビリテーションは行われなかったとするとですね。運動学習を適切に起こそうとする多彩な活動経験が行われなかったことになるのですね。それでは、情報処理が上手く行えるようにはならないのだろうと推測するのです。

脳神経細胞を増やす事ができても、姿勢運動は経験を積まないと、それに応じたシナプス形成が起きないというのは、まぁ、ちょっと考えれば解ることですよね。


そのような実験デザインで臨床研究をしていたらいつまでも変化は起きないだろうなぁと残念な気持ちになったことを思い出します。15年ぐらい前のことです。


現在では、再生医療とリハビリテーションは対になって話されることが多くなってきているようで、ちょっと安心ですね。(*^_^*)


再生医療とリハビリテーションがタッグを組んでいくことができれば、今までは考えることができなかったような改善も起きてくる可能性はあるのだろうなと思っています。

その際には、きっと、様々なリハビリテーションに関わる検査も変わってくるのだろうと思いますし、その際に、臨床的な観察や洞察をする能力がとっても大切になってくるのでは無いかと思うのです。既存の検査では表すことのできない変化というのも多く起きてくる可能性が在りますからね。


脳損傷の再生医療。

現状まだ一般的ではありませんよね。

再生医療の安全性などの課題はあるのだろうと思うのですね。

だから、そうそう短期間に広まることは無いのかも知れませんけれど。

だけど、いずれ一般的な治療の選択肢には入ってくるはずです。







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