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執筆者の写真Nagashima Kazuhiro

哲学的ゾンビ

哲学的ゾンビとは、外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間と定義される思考実験のための仮想の存在を指します。


「意識」の事を考えると脳のことに関して現状でわかっている神経生理の中でもゾンビシステムと呼ぶべき情報処理システムを持っている事がわかります。

例えば、小脳の働きなどは意識に上ることが無いゾンビシステムといえます。同様に基底核の情報処理もゾンビシステムです。脳幹の網様体脊髄路による姿勢制御システムはは概ねゾンビシステムと言うことも出来るかもしれません。

このゾンビシステム、OTという職種のかたは多分納得しやすいのでは無いかと思います。

なぜかと言えば、高次脳機能障害ではこういった意識と行動の乖離が結構多いからです。

例えば、観念失行(この呼び方は嫌いなのですけれど)と呼ばれる症状では、物品が何であるのかわかっているのにも関わらず道具の使用が出来なくなります。意識は出来るけれど、行為が出来ないと言うことですね。

あるいは、道具の強迫的使用といわれる症状は目の前に置かれた物品を,意思に反して使用してしまう状態を指します。例えば、目の前に櫛が置かれ、それを使ってはいけないという状況において、意思に反して櫛を手にして髪を解いてしまうと言ったような症状です。

これらの症状は意思と行為が乖離していることが特徴となります。

道具の強迫的使用は、前頭葉内側面−補足運動野や前部帯状回などが責任病巣と考えられています。

補足運動野は電気刺激をすると、一定の行為が出現したりしてさらに、刺激を受けた人はそういった行為をしたくなると言われていて、一見意識と関与しているかのように見えますが、上記の失行の状態を考えると補足運動野は直接意識と言われるものを生成しているわけではなさそうです。もし直接生成しているのであれば意識と行為は乖離しないはずです。出来る行為は意識できるはずだし、意識しない行為は出現しないはずなのです。

そういった意味では、補足運動野を含む高次運動野もゾンビシステムでは無いかと思っています。


これらのゾンビシステムは、姿勢制御と運動制御を無意識下で選択−調節しているものと推測をしています。

そして、そのゾンビシステムは、そのシステムと比較すればごくわずかな意図的な運動システムをしっかり支えるものだと私は考えています。

例えば、最近スケボに乗る練習をしているのですが、乗った際にボードが左に滑ったから左に重心を持って行って右に倒れるのを防ごうとか考えていたら転んでしまいます。身体が動きを感じた瞬間に意識とは別に身体が適応しなければなりません。重心を移動することを意識することを考えたり意識したりするのでは無くて,ただひたすらに感覚に依存して自動的に反応をするようにしないといけないのです。

ある意味、運動そのものより感覚に耳を傾けるように「意識」しているといえるのかもしれません。

なぜ、こんなことを書いているのかというと本日来られた方が,左片麻痺で左立脚期に必ず膝をロックしてしまうのです。自動的に。

彼のゾンビシステムは膝のロックを用いることで支持を可能と判断しているのでしょう。

このままでは膝を痛める可能性がありますので、なんとかして左立脚期に膝が軽度屈曲位を維持させたいと考えていました。

彼のゾンビシステムに立脚時の膝軽度屈曲を効率がいいものと認識していくためにはどうしたらいいのかを考えていたのです。

結果的には、初めて裸足で杖が無い状況下での歩行時、膝のロックを用いずに行うことが可能となりました。

まだ充分ではないので、今後はそれを繰り返すことでより確実なゾンビシステムとして膝(〜体幹)の制御を構築していくために繰り返す必要がありますけれど。


あ、後で気付いたのですが、私にとって哲学ゾンビの存在は運動と精神を別々に考えようとするものではありません。

脳の中の処理として行動選択や運動選択に意識と無意識の領域があると言うこと、つまり精神と運動が同一の脳から紡ぎ出されると言うことを前提に人の活動を理解するための思考ツールとして捉えています。




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