さてさて、やっと本題と言うところでしょうか。
脳梗塞・脳出血などの脳卒中では、片麻痺という病態になるわけです。
厳密に言うと片方だけの麻痺ではありません。
脳は全体で四肢を制御しています。
脳梁を介して左右の情報の整合性をとりつつ左右の手足の強調のとれた動きを制御しているのです。
ですので、以前はよい方を健側、麻痺の強い方を麻痺側と呼んでいたのではありますが。
現在は、よい方を、非麻痺側(less affected side:影響の少ない側)と麻痺側(more affected side:影響の強い側)という言い方に変わってきています。
脳損傷の影響で、左右ともに”随意運動”が何かしら影響を受けると言うことになります。
前回までのお話で、随意運動というのは、その多くは無意識であっても後から意識が何らかの合理的な理由を成立させることができる運動を指すのではないかと言うことでしたね。
すると、無意識下の行動の流れが障害を受けると言うことになりますね。
ご自分の日常生活、例えば今日、目が覚めてから服を着替えて出勤するまでのことを考えてみてください。朝目が覚めて体を起こすとき、起きてベッドから立ち上がるとき。その後、歯を磨くために洗面台にいく人もおられれば、トイレに向かったり朝食の準備をする人もおられることでしょう。
それぞれの動作や流れをほとんど意識しない人もおられるだろうし、意識する人もおられたかもしれません。意識するときは、何か要因があるときだと思います。例えば痛みがあって、起き上がりにくい場合や、今日はどうしても仕事に出たくないような場合、起き上がることを意識してしまうのかもしれないですね。風邪っぽかったりしても意識しちゃうかも。トイレに間に合いそうに無いような感覚があるときはトイレに行くことを意識するでしょうし、強い空腹を覚えておられたら一刻も早く何か食べるものを準備することを意識するのかも。何ができるかと冷蔵庫を開ける場合も、何があったのかを覚えていなくて意識してしまうことになるのかもしれません。
だけど、意識される場合においても多くの情報はあらかじめ脳の中で処理されて行動を起こした後、もしくはそのプログラムが選択された後に意識される事になりますし、さらに運動の要素まで意識する方はほとんどおられないことでしょう。
かなり多くの無意識下の制御が働いて私たちの生活を支えています。
脳卒中における随意運動の障害とは、そういった無意識下に行動の流れや運動の流れを作り出すシステムが壊れていると表現することができるのでは無いかと思います。
まぁ、ふと動くはずが動かないので、意識に頼るのでしょうけれど。
ともかく、動きが出現しても、かなり強い意識で制御をしようとされる方が少なくありません。
大変そうですよね。
ひとつひとつ意識することってきっと疲れますよね。
中枢性疲労ってやつです。(^_^;)
試しにやってみたら良いと思うのです。一つ一つの行為について、何をすべきか?どのようにすべきかを考えてから行動に移し、その後、一つ一つの動作について意識して動かしていく。
ビールを開けるときは、左手の親指と人差し指から小指までを対立させて、開いて、感を握りつぶさないように、だけど、右手の人差し指をプルトップに引っかけて引き上げるときに傾かない程度に握って安定させておいて、それから右手を回内させて人差し指を床面に向けながらDIPとPIPを曲げて爪をプルトップとカンの間に爪を差し込んでPIPとDIPは形を変えずにMPを伸展させてプルトップを引き上げて・・・
してみる人はおられるのかなぁ?
ま、そもそも、こういった情報を見て私たちの脳は、仕事の経験や職場での社会的な生存、職業的な報酬期待など様々な要因からすでにそれを行うのか行わないのかを無意識下で決定しています。そういった意識化をするのはその後のことということになります。面白そうだからやってみるとか、やってみるまでもないとか、興味が無いからやらないとか。無意識下の決定を後で、合理的な理由をつけて、それを意識していると言うことになるのですけれど。
ややこしいですね。
さ、とりあえず実際やってみると・・・
実にめんどくさ・・・
(^_^;)
無意識に制御できるって幸せですよね。
さて、意識で運動を制御するとどんなことが起きるんでしょうか?
あまり大きな事を考えるとしんどいですから、例えば、手が上がらなくなったときの高次運動野ー基底核ループがどのように運動プログラムを変更していくのかを考えてみましょう。
動画を見てみてください。
釣りの動画です。ネットを徘徊して、やっと片手で重たい物を持ち上げる動画を見つけました。(^_^)
09:33あたりからですね。青い服の人です。海から重たいケージを引き上げようとされてますね。
左手で体を固定して右手であげようとされてます。重いので、右の肩関節をFixさせるようにして、肩甲帯をリトラクションさせつつ、体幹は左に側屈しているようです。
片麻痺の手の挙上のパターンの要素にそっくりですね。
手が重たいときとかだけではないかもしれませんが、そんなときに無意識下で選択される運動プログラムのパターンで、非損傷脳でも持っているプログラムのようですね。
(ケージの中のタコ、美味しそうですね。タコは、脳が9つ,心臓が3つあるそうです。鬼舞辻無惨のモデルでしょうか?)
脳損傷の場合、そのプログラムが優先されすぎている定型的で鋳型にはまったようなパターンになっているから問題なんです。
いつもの出力を基底核ループが選択しても結果が小脳や頭頂連合野で比較されたとき。出力プログラムとその結果に大きな誤差が出る。誤差が起きた情報が再び前頭連合野に運ばれると、普段と異なった運動プログラム~肩はFix・肩甲帯のリトラクション、体幹の側屈などの要素の入ったプログラムを選択し、運動出力につなげるわけです。このプロセスは、基本的に無意識下の物だと思われますが、意識が関与するとすれば、先に前頭連合野のEfference copyが頭頂連合野に送られている直後、つまり手が重たくて動かないと言った意識は存在していてもおかしくないように思います。
ただ、実際選択された定型的なパターンの意識は、手を実際に動かした後から、「手が動きにくい、動かないから持ち上げようとした。」などと理由を述べられるのかもしれないですね。
こういったことを考えると、「意識」に訴えて出力プログラム/出力パターンを変えようとしても、それは無駄というか・・・無駄とは言わないまでもかなり難しい課題になるはずです。
無意識下で、その運動出力パターンを選択させるような環境や固有受容感覚を入力して、片麻痺になってからいつも選択しているプログラムと違ったプログラムを選択していただいて、それを繰り返すことで脳のネットワークが変化する事を促すしかなさそうな気がします。
どうやって、意識に上らせず。どうやって無意識下に新しいプログラムを選択させていくのか。
自動的な動きをどのように広げていくのか。
そういった自動的な動きをあらゆる動作のなかで獲得していくことが脳卒中リハビリテーションの大きな目標となるのでは無いかと思います。
もし、「意識」をセラピーの中で用いるのであれば、出力結果である行為や動きのパターンそのものを意識していただくようにするより、むしろ、感覚などに注意を向けていただく方が有用だと言うことになると思います。
Don't think. Feel!
あ、ブルース・リーだ! (^^)/
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